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アコンカグア 登山報告    記 石井
日程 2011年1月20日-2月11日
メンバー 越山 将男、石井 日出男   
詳 細

1.はじめに
   アコンカグアは南半球の西経170度 南緯39度に位置し、北緯に直すと種子島、屋久島あたりに相当する。しかし緯度が低いとはいえ標高6960mの高度がある。技術的に困難な山ではなさそうだが、高度の影響を充分考慮しなければならない。
   我々は昨年7月に中国の二姑娘山5276mに登頂した。この時の高度順応が持続している内に(半年間ぐらいは続くらしい)ということで、アコンカグアの夏山シーズンである1月から2月にかけ行くことにした。
   登山ルートは、北西稜(一般ルート)、東側の氷河を登るポーランドルート、バリエーションルートである南壁、そして西壁ルートがある。もちろん我々は北西稜ルートだ。このルートにはBC4300mから頂上の間に、 キャンプカナダ4900m、 キャンプアラスカ5150m、 ニド・デ・コンドレス5400m、 キャンプベルリン5900m、 インデペンデンシア6540mの計5つのキャンプサイトがある。各登山隊の実力によってこれらのキャンプサイトを使い分ける様だ。ニド・デ・コンドレスにC1、キャンプベルリンにC2を設営しアタックするのが一般的で、我々の計画もそれにならった。
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2.期日
    2011年1月20日-2月11日 これ以降3月4日帰国までパタゴニアなどトレッキング。

3.パーティー
    越山 将男、石井 日出男

4.行動日程
 1月20日(木)成田17:10―ヒューストン13:50/21:00-機中泊
 1月21日(金)-ブエノスアイレス10:20-ブエノス泊
 1月22日(土)ブエノスアイレス-仝上
 1月23日(日)ブエノスアイレス10:50—空路―12:40メンドーサ-メンドーサ泊
    いよいよ登山基地の町メンドーサへ。この間の航空機の荷物制限が1人15kgプラス手荷物5kgと厳しく、2人で25kgオーバーとなり290ペソ=6100円の超過料金を払う。空港からタクシーで市内へ。夏休みでホテルも盛況らしくやっと3軒目で荷物を解くことができた。
       
 1月24日(月)メンドーサ-仝上
    終日登山許可の取得と登山用具のレンタルなどに費やした。登山許可証の発行は州政府観光局が行なう。そこで山岳保険加入の有無の確認とメディカル・チエック(血圧、脈拍、血中酸素濃度など)を受け、入山料3000ペソ=750ドルを支払い、無事登山許可証を手にすることができた。
    登山用品店「LIMITE VERTICL」でピッケル、ストックダブル、高所用寝袋、マットレスをレンタルし(レンタル料金20日間で1人160ドル)、ブタンガスボンベ8本とランタンヘッドを購入した。またこの店で明日のペニテンテスまでのタクシー(150ドル)と登山口からベースキャンプまで荷物を運んでもらうムーラ(馬)1頭(150ドル)、キャラバン途中のコンフェルンシアの宿泊(1人1泊3食付60ドル)を旅行エージェントのLANKO社を通じ予約した。どうやら登山用品店はどこも旅行エージェントと提携している様だ。また登山用品は日本から持って行かなくても、何でもレンタル出来る位揃っている。 

 1月25日(火)晴れ  メンドーサ -(タクシー2時間)―ペニテンテス-(車)―プエルデルインカ2900m―コンフルエンシア3400m  -テント泊
   ペニテンテスのLANKO社のロッジで、ムーラに運んでもらう荷物(52kg)を預け登山口であるプエルデルインカに向かう。登山口にあるレンジャー基地で登山許可証のチェックとゴミ袋をもらう。下山時にこのゴミ袋がないと罰金ものらしい。いよいよキャラバン開始。緑のオルコネス谷を辿ること約4時間でコンフェルシアの大テント村に到着した。LANKO社の大テントに泊まる。
    
 1月26日 (水) 晴れ  コンフルエンシア3400m―アコンカグア南壁基部4200m往復-仝上泊
  高度順応を兼ねアコンカグア南壁を見に7:30に出発。土砂が被った氷河を辿り4時間半でアコンカグア南壁基部のプラザ・フランシアに到着。岩と氷の織りなす大岩壁に圧倒される。一見登れそうもない壁だが3-4ルート開かれているそうだ。写真―1

27日(木)晴れ  コンフルエンシア-―プラザデムーラス4300m   テント泊
  キャラバン2日目、草もほとんどなくなってきた荒涼としたオルコネス谷を、途中3-4か所小さな川を渡渉しながらひたすら歩く。距離22km標高差900m、やっとの思いでBC設営地であるプラザデムーラスに到着。ここには 4-5社のエージェントがそれぞれ大テントを幾つも設営し、登山者に宿泊、食事、インターネットなどさまざまなサービスを提供している。我々はまたLANKO社の大テントにお世話になることになり、以後ここを我々のBCとした。(素泊まり1人一泊10ドル)
写真―2

28日(金)晴れ  BC発11:50―レフーヒオホテル12:15-30ー水場13:50-14:05―コル15:15-25―ボネーテ5004m16:30-40―BC着18:45--BCテント泊
   プラザデムーラスBCのレンジャー基地で再度メディカル・チェックを受ける。無事パス。パスしないと登らせてもらえない場合もあるようだ。この後高度順応と偵察を兼ね、BCを挟んでアコンカグアの対面にあるボネーテ山に登る。グズグズしたガレ場の続く岩山であまり快適ではなかったが、頂上から見る眺望がすばらしい。
写真―3.4

 1月29日 (土) 晴れ  BCで終日休養-BCテント泊
 レンジャー基地で聞いたところ、例年3000名位の登山者が世界各国から訪れるが、登頂率は30%程度。今シーズンは12月から1月初旬まで天候が悪く15%ほどとのこと。思いのほか厳しい数字に多少心配になる。

 1月30日(日) 晴れのち小雪  BC発9:40―ニド・デ・コンドレスC1予定地
5400m14:35-15:25―キャンプカナダ16:10-15―BC着17:15 BCテント泊
   高度順応と偵察を兼ねニド・デ・コンドレスのC1予定地まで往復。富士山の様なザレタ大斜面をダブルストックでジグザグに登る。途中5100m位から雪が出てくる。見上げるとはるか上部に頂上岩峰が見える。雪上を吹く風が冷たい。指先が痛くなり大急ぎでオーバー手袋をつけた。今年1月初旬、関西の登山隊が吹雪に会い全員が凍傷になったと聞いているので、慎重にならざるを得ない。ニド・デ・コンドレスは広々とした大鞍部で、雪の上に沢山のテントが張られていた。
写真―5

 1月31日(月)晴れ  BCで終日休養-BCテント泊
   当初ニド・デ・コンドレスにC1、キャンプベルリン5900mにC2を出してアタックを考えていたが、昨日の偵察の結果、荷揚げにかなりの体力を消耗しそうなことが分かった。我々は若くはない(65歳と63歳の中高年登山隊だ)。頂上に登ることを優先しよう。ポーターを使うのも許されるだろうと勝手に納得し採用することにした。そこで計画を変更し、BCから一気にキャンプベルリンにC1を出してここからアタックすることにした。(BC―キャンプベルリン間のポーター料金20kgまで220ドル)

 2月1日 (火) 晴れ  BC発8:45-キャンプアラスカ13:40―ニド・デ・コンドレス15:35-50―キャンプベルリン着18:35       ベルリン小屋泊
   頂上アタックの第一日目が始まる。アコンカグアのBCの一日は日本と比べ遅い。朝は9時ごろから動き出して午後6時から7時ごろまで行動できる。暗くなるのは9時ごろだ。
ポーターに荷物(18kg)を預け出発。途中からアイゼンをつけ順調にニド・デ・コンドレスに到着。ここからキャンプベルリンまでは北西稜の東側(BCの反対側)にまわり込み、標高差500mの雪の大斜面をジクザクに登る。途中我々の荷物を荷上してくれたポーターが早くも下山して来るのに出会う。凄まじいスピードとその体力に感心する。
   キャンプベルリンは北西稜の稜線上の少し開けたところにある。小さな避難小屋が3つあり、その内の一つが使えそうなので、テントより風が防げて快適だろうと判断し、我々のC1として使うことにした。
写真―6

 2月2日 (水)晴れ風強い キャンプベルリン発7:40― BC着11:30―レフーヒオホテル着14:00- レフーヒオホテル泊
 朝4時風が強い。7時ごろまで様子を見るが収まりそうもない。私の個人装備のミス(ゴーグル兼用のサングラスの柄を不注意で破損し使えづらくなる)と燃料不足なども考慮して、潔く後日再アタックすることに決めBCに下山することにした。最小限の個人装備以外すべてデポする。途中ふり仰ぐと頂上付近に猛烈な雪煙が舞っていた。頂上は今まさにこの山特有のビエント・ブランコ=白い風 状態であろう。寝袋もデポして来たので、今夜はレフーヒオホテルに泊まることにした。  (1人一泊朝食つき44ドル)

 2月3日 (木) 晴れ風強い レフーヒオホテルで終日休養-仝上泊
   天気予報によると明日からの2日間は、風も弱く好天が望めるとのことだ。

 2月4日 (金) 晴れ  ホテル発7:00―BC7:30―ニド・デ・コンドレス13:25―キャンプベルリン17:50 上部ルート偵19:10-キャンプベルリン泊
   再アタックを期してホテルを出発。BCのテントに立ち寄り食糧、ボンベを補給し、新たにレンタルしたサングラスをかけキャンプベルリンを目指す。好天が続いたためか一昨日と比べてだいぶ雪が少なくなっている。見下ろす BCの大テント村もめっきりテントの数が少なくなっている。登山シーズンも終盤に近付いてきたようだ。
   ベルリンキャンプに着く直前に、登頂に成功して下山中のM君(M大山岳部OB.単独行)に出会った。彼とは登山許可を取る時以来の顔なじみだ。彼は1月末に一度アタックをしたが、途中でひどい高山病の症状が出て登頂を断念している。今回高山病の回復を待っての再チャレンジだ。若いとはいえ驚異的な回復力と根性にただ脱帽するばかりだ。
   明日のアタックに備えキャンプベルリン上部の岩稜帯を偵察する。このルートで一番迷いやすい所らしい。
写真-7

 2月5日 (土) 晴れ キャンプベルリン発5:50―インデペンデシア9:35-50―グラン・カナレータ入り口13:30-45―頂上15:40-16:20―インデペンデシア18:10―キャンプベルリン着19:25-キャンプベルリン泊
   まだ暗い中ヘッドランプの灯りを頼りに岩峰を縫うように登る。岩峰帯を東側に抜けるとまた雪の大斜面だ。ここをジクザクに登ると、この北西稜ルートの最上部にあるキャンプサイト、インデペンデシア6540mに着く。小屋があるが壊れて使えない。更に斜面を登り稜線に出て西壁側(BC側)にまわりこみ、大トラバース帯に入る。傾斜は緩いが長く単調な登りだ。二人とも高度順化が上手くいっているとはいえかなりきつい。トラバース帯を抜けるとグラン・カナレータと呼ばれる頂上に突き上げる急な大クロアールに入る。頂上が真上に見えるがなかなか近づかない。この高度差200mほどに2時間を費やしてやっと頂上に躍り出た。頂上は平らで広く雪も飛ばされて少ない。早速小さな十字架を入れて記念撮影。ほかの登山グループの人たちも皆うれしそうだ。あいにくガスが出てきて南壁側は見えない。40分ほどいて下山にかかる。
写真-8.9.10.11.12.13.14

 2月6日 (日)晴れ雲多い キャンプベルリン発9:50―BC着13:30  BCテント泊
   全装備を背負って下山。途中雪盲になった登山者が、前後をザイルで支えられて下りるのに出会った。壊れた自分のサングラスを思い出す。小さなミスが大きな失敗につながりかねない山の恐ろしさをあらためて感じた。

 2月7日(月)晴れ  BCにて休養-BCテント泊
   登頂成功を祝ってエージェントのテント食堂でビールとワインで乾杯、ついでにハンバーガーも、大盤振る舞いだ。  (ビールロング缶12ドル×2本、ワインフルボトル20ドル、ハンバーガー9ドル×2つ)
写真-15

 2月8日(火)霧のち晴れ  BC発10:00―コンフェルンシア16:00-30―プエンテデルインカ着18:10―(車)―ペニテンテ19:00       ペニテンテス ロッジ泊
ムーラに荷物(38kg料金150ドル)を託し、気の遠くなる様な長い道を下山。プエンデルインカのレンジャー基地で下山手続きを終え無事登山活動終了。迎えに来てもらったLANKO社の車でペニテンテスのロッジに向かう。ほぼ2週間ぶりのシャワーに感激。

 2月9日(水)  ペニテンテス ―(タクシー)―メンドーサ-メンドーサホテル泊 
   レンタルした登山用具を返却しに登山用品店に行くと、主人が我々の登頂を我がことの様に喜んでくれた。彼はまだ登ったことがないそうだ。うれしくなって三人で記念写真を撮った。
写真-16

 2月10日(木) メンドーサ 終日市内見学
 2月11日(金) メンドーサ ―空路―ブエノスアイレス

5.おわりに
   アコンカグアでは、高度順応をいかにうまく行うかが登頂の成否を左右するポイントであると云われている。我々はそのためアコンカグア南壁基部へのトレッキング、ボネート山登山など4-5000mでの高度順化を繰り返し行った。このことが結果的に高山病にならずに登頂することができたと思っている。
   アコンカグアの登山者の登頂率は例年30%位と云われている。これは多くの登山者が限られた登山日程しか持たないためだと思う。そのため高度順応にかける日数が少なくそのため高山病にかかりやすくなってしまう、またアタックも日程的に1回かぎりしかできず天候次第では断念せざるを得ない。特にガイド付きのツアー登山に顕著に表れているようだ。この点我々は余裕を持った日程を組むことができたのが幸いした。
   登山装備に関しては、日本の冬山装備を基準にプラス高所であることを考慮して、高所でも使える登山靴と高所用下着上下を準備した。登山用具は現地の登山用品店で殆どの物が揃うので、重たい物やかさばる物を日本から持って行く必要はない。なお今回ピッケルもレンタルしたが一度も使わなかった。ダブルストックとアイゼンで充分であった。
   食糧については、登山中の食糧は普段日本の山で食べているものを極力持参した。特に高所で疲れた時の食事は日本食に勝るものはない。また行動食を何にするかは、それぞれ個人の好みが違うので、自分の好きな食べやすいものを各人が選んで用意する方が良さそうだ。

   最後にアルムクラブの皆さんから、出発に際したくさんの温かい激励、ご声援をいただきました。登頂にはこれがかなりの後押しになってくれたと思っています。ありがとうございました。 






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