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2008年
 53前穂4峰正面壁 松高ルート  松商ルートの報告はこちら
日程 2008年8月13日
メンバー

Ue,Kuni,Mami,Nayu 4名
なお、Ue,Nayuは途中より4峰正面壁仮称"松S学園ルート"

報告:kuni
詳 細

4峰正面壁の北条・新村ルートを登攀するつもりで、朝5時に涸沢を出発した。5・6のコルまでは予定通り
1時間で着いたものの、奥又白側への下降には予想外に手間取った。特にC沢上部の雪渓と4峰の岩場
の間には大きなシュルンドが開いており、一度大きく右に巻いて岩場に取り付いてから、左にもどって甲南
バンドを探すという作業を強いられた。結局、アプローチに約5時間を費やす。
 「北・新はやめて、松高にしようか。」甲南バンドから正面壁を見上げながら、U代表となんとなくそう話し
あった。シュルンド越えに疲れて、奥の北・新に行くのが、イヤになっちゃったのである。二人はすぐに合意。
今回は、2パーティとも松高を登ることにする。
 1P:傾斜の緩い草つきから始まる。草をつかみながら登りだす。トポには40mと書いてあるのだが、
50m登ってもビレー点がない。仕方なく、セカンドに15mほど登ってもらい、さらに10m登って支点を探した。
この区間、傾斜が強まるとともに岩が極端にモロくなる。どのホールドもつかむと崩れ落ち、下のメンバーを
直撃しそうで大変に緊張した。60m登って、ようやくビレー点を見つけた。ハーケン2枚に、黄色いテープ
シュリンゲがついている。下のハーケンが緩んでいたので、さらに1枚を打ち足す。ビレー点まで、残置ピン
はまったくなかった。

 2P:トポと同じ。何箇所かのハーケンにヌンチャクをかけながら、ビレー点まで行く。
 3P:7〜8mほど登ったところにボルトが打ってある。そこまではいいのだが、その先、右に行こうか左に
行こうかと、ちょっと悩む。どちらもピンはまったくない。わたしは、やや右を選択し、残置ピンのない嫌な傾斜
を攀じ登り、松高ハング下でビレー点を発見した。しかしU代表は左側を選び、あれよあれよという間に松高
ハングの左の方に行ってしまった!その後、終了点の緩傾斜帯まで、U代表と会うことはできなかった。
 4P:この辺りから岩が硬くなり、残置ピンも増えて快適なクライミングできるようになる。右にトラバースし、
ハングをかわして凹角から上部に抜ける。A0で行けるけれど、セカンドのmamiのためにアブミをセットした
(これがよかったのかどうなのか、高度感満点の中、mamiはアブミ回収のためにサーカス状態で大奮闘した
ようだ)。ビレー点の松高テラスは、一畳ほどの快適な場所で、われわれはここで大休憩。行動食を食べ、
ケータイをかけたり、メールを見たり、来るかもしれない後続を待ったりした。

 5P:テラスの真上の垂壁を越えていく。ここもA0。途中、ロープの流れが悪くなったので、一度ピッチを
切った。

 6P:さらに快適なフェースをフリーで抜け、緩傾斜帯の終了点へ。セカンドをビレーしている時に、上の方
からU代表のコールが聞こえてきた。彼らも、未知の困難なルートを抜けてクライミングを終了したらしい。
よかった。
 意識的に右へ右へとルートを取り、U代表のパーティと合流した。この辺りから、はっきりとしたトレースが
4峰の登りの中間点あたりへと続いている。北尾根の登攀者が、正規ルートと間違えてよく迷い込むところだ。
4峰の稜線上で涸沢のテント村が見え、登攀終了を確認した。もう、夕方の5時に近い。テントの人たちは、
われわれの遅い到着を心配して待っているだろう。急いで5・6のコルをめざした。
 登攀者の少ないクラシックルートは、一概に当時のグレードで等級付けすることは難しい。正面壁につい
ても、岩の脆さや残置ピンの危うさ、ルートファインディングの難しさなどから、屏風岩のルートなどよりも
むしろ難しいのではないかとテン場についてから実感した。

 

豊富残雪の残る雪渓から五六のコルへ C沢よりみた前穂四峰正面壁
松高ルートの1p目を登るKuni 松高ルート2p目のKuni

松高ルート2p目の終盤右上して終わる 松高ルート3p目のKuni。草付が盛り上がっているので悪い。

松高3p目右に越えて左へ めずらしく真剣なMami
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