7/3   6:00 ホテル発  8:00ウランバートル発ー(ウランバートル時差−1時間)8:45ホブド空港着
                  10:10ホプド空港発
                  19:00BC地着 21:00ゲル完成 
                      (2551m ・N48・40’16” E90・38’52”
7/4   12:55 BC発     14:00AC地着 15:30馬荷物到着AC設営
                  15:45U氏BCへ 17:50U氏帰着
7/5   3:30 起床     4:40 AC出発
                  7:40 3840m地点にて休憩
                  8:05 アイゼン装着地点  8:25アンザイレンして出発
                   10:30 山頂手前(GPS、4165m)
                   10:55 山頂(GPS、4208m・N48・40’53” E90・43’31”)
                   11:10 山頂発 下山
                   14:30 AC着
                   15:30 AC撤収 下山
                   17:00 BCゲル着

メンバー:会員4、会員外3(男性6、女性1)

モンゴル:ツァスト峰遠征日記

2007/6/30-7/8



 代表の学生時代の仲間の企画に便乗させていただき、当クラブから代表含め4名参加し、合計7名にてモンゴルのツァスト山(4240m)に挑戦しました。
 アルムクラブ初の海外遠征となりいろいろハプニングもありましたが最高に充実した9日間でした。
 
 モンゴルはいろいろ考えさせられる国でした。首都ウランバートルではあふれかえる人と車。無秩序の交通状態。鳴り響くクラクションや、罵声。民主化への移行後、貧富の差が拡大しているとのことでしたが、街中では、立派な家がある一方、私たちに物乞いをするストリートチルドレン。そして、ウランバートル市内から一歩外に出てもそこには力の差がまざまざと。昔ながらのゲル生活をしながらも、自家発電機と、テレビ、ビデオ、パラボナアンテナ、そして、ジープを持つ一部の人々。
 街中に溢れる闘争心に、はじめは戸惑いましたが、なぜか負けていられないと奮い立っている自分がいました。そして、そこには、良くも悪くも、私たちの薄っぺらい正義感や、気取ったルールなど通用しない、人間が生きていく本来の力が満ち溢れ、みんな必死で生きていると言うことを痛感した旅でした。

 そして、全力でそれぞれの分野でプロとして私たちをサポートしてくれた現地スタッフに敬意を表します。ひとりでいろいろわがままを聞いてくれた通訳のオドさん。すべて準備をしてくれたアルタイクラブの方々。それぞれの車で闘争心むき出し、砂漠ラリー状態と化した運転手のおじさんたち、夜中に準備をしておいしい料理をつくってくれたコックのおばさん。そして、ちょっと怪しく愛嬌のある山岳ガイド。みんな陽気で楽しい人たちでした。【記:SN】
 

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6月30日(土)   成田(13:55)−ソウル(16:20)  ソウル(20:05)−ウランバートル(22:35)                       

   7月1日(日)     市内観光 ガンダン寺、自然史博物館、市場見学             

      2日(月)   当初ウルギーへ移動予定であったが飛行機が故障との理由でBCへの入り口を
            ウルギーからホブドへ変更。ホブドへの飛行機は3日予定。
            再度自由時間となりウランバートル近くのテレルジへ日帰り旅行とする。

   3日(火)   ウランバートルから空路ホブドへ
            ホブドより砂漠の中をトラック1台、ジープ2台でBCとなるツァスト峰山麓へ移動

   4日(水)   BC〜AC 3055mあたりお花畑の中でAC作成

   5日(木)   ACよりツァスト峰(4240m)アッタク 全員登頂 そのままBCへ

   6日(金)   午前中近くの遊牧民のゲルを見学。その後ホブドの街へ移動

    7日(土)   ホブドより空路ウランバートルへ

   8日(日)   ウランバートル(0:20)−ソウル(4:15) ソウル(9:15)−成田(11:30)

日程表

はじめに

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山行報告

【コースタイム】

7/4
   昨日

7/3
ACを作るべくツァスト峰麓までホプド空港からジープ2台とトラック1台にて砂漠の中の道なき道を延々とドライブ。
途中、道に迷ったらしく、ますますごろごろと大きな岩のある道を行く。頭がジープの天井に届きそうである。日本で行ったら北アルプスの登山道かと思うような道である。なんとかツァスト峰山麓に着くが既にくたくたであった。
 そして、ツァスト山頂に行くルートが、ガイドが行こうとしているルートと我々が事前に調べてきたルートが違っている事が判明した。いろいろ話し合った末、我々のルートを行くことと決定。
既に時計は7時を回っているがまだ明るい。しかし、風が冷たくなってきた。現地スタッフはBCとなるべくゲルを立てている。その後、みんな明日のことを考えてか、長旅の疲れかあっという間に熟睡していた。

7/4
  ACに向けて出発。荷物を現地遊牧民の方と契約が成立して馬で運んでもらうことと決定する。重い荷物を背負う覚悟をしていたので拍子抜けしたものの、大変ありがたい。
BCからのAC目標地点まではお花畑の中の緩いのぼり。ピクニック気分でみんなのんびり登っていく。しかし、既に高度は2500mから3000m。ちょっとしたのぼりが結構きつく感じる。これで荷物をもっていたらかなりきついと馬に感謝しながら登っていく。
  2900mあたりからAC建設地点を意識し、それぞれが平らな場所を探しながら登る。結局、3055mあたり、お花畑の中、水場も近いと言う事でAC建設。馬もなんとか登ってこれてほっとする。
ACは、テント2張。背負ってくるつもりだったのでぎりぎりの大きさのため、荷物にツェルトをかぶせ外に出すこととした。さて、お茶でも飲もうと言うときトラブルが発生した。なんと、ガソリンストーブが見当たらない。
U氏が自分がBCに取りに行くとすぐ決断して、小雨が降りそうな中、水と朝コックのおばさんからもらったサンドイッチを入れ、駆け足で下っていく。
 その後、残ったメンバーは、さすが探検部OB。ただ待っているのではなく、「郷に入れば郷に従え」。乾いた牛糞を集め始め、石で釜を作りお湯を沸かし始めた。(すみません、私Nは触れませんでした)。当クラブの1シェフH氏はなんと、ペットボトルの底を切って火吹竹を作成して効率よくお湯を沸かし暖かいお茶を飲ませてくれた。そして、火力はどんどん強くなり結局、ジフィーズのご飯とおかずにお湯をいれ、作成することができた。U氏もなんと、30分くらいBCを探したと言いながらも2時間弱で帰還。すごい、人たちだと改めて実感した。
 そして、明日に備え、まだ外は明るいが21時ごろ就寝。
【記:SN】

7/5アタック日
  昨晩は予想したより暖かった 就寝中に衣服を脱いだりしたので余り眠れない一夜だった。
3:30起きると早速 昨日BCまで取りに戻ったコンロの燃焼機の部品でコンロを組み立て、お湯つくりを試みるが 圧力がかからず燃焼が継続できない。いろいろ試みるが旨くいかなかった。牛糞を集めて燃やす時間も無く結局少々の水を飲んでだけでのアタック出発となった。メンバーの中には朝食抜きの行動に慣れていない者もいるので少々気になる。
  今日の自分の想定した登攀ルートは正面雪壁の右端傾斜の緩い部分を南稜まで登り、登りにくいガレ場の登りを避けるというものだった。しかし、英語の全く通じないガイドのMさんがどの様に考えているか解らない。全くコミュニュケーションの取れない状態、どの様なガイドなのかも解らない。ガイドもこの南面からの登攀は初めてとの認識を頭にスタートする。
  
 4:40出発。広い尾根を直上する。この尾根を高度200m程あげて傾斜の緩いところを右の氷河から出ているルンゼを登るのが自分の描いたコースだったがガイドは100m程で右のルンゼへ下ってしまった。
  ルンゼへ降りると 右から出ている南稜の支稜は思ったより傾斜も少なく大きな岩のガレで登り易そうだった。一人が今朝からの下痢、余り調子が良くないメンバーもいたので確実登れるこの支稜をつめることにする。ガイドとの相談は身振り手振りで何とか通じる。このガレ尾根の登りは細かいガレでないので滑らないが、登られていない鋭角の岩の集まりで時々大きく崩れ登り難い。かなり広い尾根なので下りを考えて赤旗を立てながら登る。93年の記録だと3200m位からアイゼンを着けて登っているのだが雪がありそうなのは4000m近くと思われる。これも地球温暖化の影響か。嫌なガレ登りが延々と続く。南稜へは3500m位で合流。
  
 南稜にはトレースらしきものがあり 登山者が残したゴミ類も見受けられる。3900m地点で雪が現れ前面に雪の壁が広がりやっとアイゼン装着する地点に達した。ここで 4人ずつアンザイレンして2パーティで登る。雪は表面に3、4cmほどの新雪が積もり、その下はかなり固い雪質。片栗粉の様な新雪でアイゼンが団子になり易く慎重に登る。傾斜の強いところで最高40度ほどの雪壁を標高150mほど登ると頂上への稜線へ出る。緩い登りの稜線だが幅広く帰りを考え赤旗を残す。時折、新雪に隠れたクレバスがあるが幅が狭く墜落するようなクレバスは無かった。ガイドが先頭に立ちストックでクレバスを避けながら進む。それでもガイドが片足をクレバスに取られることもあった。しかし、氷河に見られるような段差のあるクレバスは皆無であった。
 
 4100m近くなるとガスが出始め稜線が判然としなくなる。ひたすら高い方へ登っていくがガイドが止まりこのあたりが頂上であるとのこと。だだっ広いところであまり頂上と言う感じではない。先が雪庇になっている様なことをガイドが身振り手振りで説明する。疲れているメンバーはもう頂上ということでザックを下ろしている。頂上ということが釈然としないので50mロープで確保してもらいガスの中を雪庇があるという方角へ進む。50m進むが雪庇は現れず更に緩く登っている。更に50mほど進むと、ガスの切れ間に、 最高点と思われる地点に達した。緩く下る反対側の尾根も確認できた。クレバスの有無を確認して “こちらが最高点”と無線で皆に連絡 全員が頂上に到達した。GPS高度で4208mだが誤差の範囲であろう。頂上の標識も十字架もない平らな頂上だが、改めて皆で登頂を喜び記念撮影した。
  
 帰路は雪の上のトレースをたどり問題なくアイゼンの装着地点へ。 さらにガレ尾根を降りるが ガイドのアイディアで往路を辿らす途中のルンゼを下る。最初は広いざらざらのルンゼだったが途中狭い部分があり上からの落石が心配される部分もある。ガイドは遅れ気味の我々を置いてメンバー1人と共にスタコラと下ってしまう。残された我々はグズグズのガレ沢を慎重に下る。側壁からの落石もあり最悪の下降ルートであった。しばし遅れてACに到着するとガイドは馬糞を集めてお湯を沸かして待っていた。ヨーロッパのガイドとは大分違うがここはモンゴルであり良しとする。過去、最近の登山経験などバラバラな7人のメンバーだったが、各々に高度順応などの準備して全員登頂することが出来大成功だった。 【記:U(登攀隊長)】

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