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MonteCervino(マッターホルン):リオン稜登攀、PitzBadileトレッキング     記 名雪
日程 2011年8月27日-9月5日
メンバー 【参加者】上野、細野、名雪
詳 細
MonteCervino イタリア語でマッターホルン。
今回のヨーロッパ山行では、現地のガイドとのスピードと体力の差を痛感しました。
やはり、アルプスの大きな山ではスピードが命。また、初めてのルートだったことも大きなハンディでした。
前日早くついて、偵察をして、5時に取り付いておけばと悔やまれました。

しかし昨年DentBlansheに登攀した時は日程的に余裕がなかったのですが、今回は後半Soglioに向かう途中の景色を堪能しました。
どこまでも続く素晴らしい山並み、途中の町では町を360°すべて囲む壮大な岩場。圧倒されそうな景色を目の当たりにして、
「日本で有名なヨーロッパの山は、ヨーロッパでは素晴らしい山のひとつに過ぎない」。
そんな事を感じ、有名な山に憬れていた自分の小ささが恥ずかしくさえ感じました。
そして、そんなヨーロッパの素晴らしい山々をもっと知りたい、行ってみたい。
そんな気持ちになったヨーロッパ山行でした。

 
8/27成田発→モスクワ→ミラノ
8/28ミラノ→cervinia泊
8/29cervinia マッターホルン登攀 カレル小屋泊
8/30マッターホルン登攀 カレル小屋泊
8/31cervinia→courmayeur
9/1courmayeur→chamonix→munster
9/2munste→Furukapass→Andermatt→St.moritz→Soglio
9/3Soglio PitzBadileトレッキング→leco→Como
9/4Como→ミラノ
9/5成田

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【山行報告】
8月27日
いつもの(?)アエロフロートでMoscow経由でMilano入りをした。
モスクワからはアリタリア航空での旅。食事の違いにいつもながら感激。
MilanoにつきMalpensa空港でレンタカーを借り、空港近くの元豪華格安ホテルに宿泊した。

8月28日
レンタカーでCerviniaに到着。駐車場前でCervinoを見上げるとうっすらと雪がついている。
さっそく近くのガイド組合に行き、状況を確認すると、数日前に雪が降り、上部はベルクラが付難しい状態とのこと。
とりあえず、3000m地点まで偵察ハイキングとする。
上部から帰ってきた様子のパーティーに話を聞くと、どのパーティーも、「ice、very cold」との返事で引き返している模様。
やはり状態は悪いようだ。

8月29日 
高度順応準備不足の細野さんを残して、上野、名雪でカレル小屋へ向かう。
カレル小屋は無人小屋で水を各自5Lほどと食料を担ぎ上げる。
上部の岩場ではフィックスロープはあるが急なウインパークラックに苦労。
足がかりの乏しい逆層と太いロープ、重荷に腕がパンパンとなる。6時間の予定が9時間もかかってしまった。
ガイドバーティに次々抜かれ自信喪失。後で解ったが地元ガイドは装備、食料、水をカレルにデポしているもようだ。
なんとかカレル小屋に到着したが、ガスレンジの順番、ベッドの確保に神経を使う。
寝ていたら、何パーティーかいたガイドパーティーのガイドのひとりが「明日朝、我々ガイドパーティーが先に行く。知っているなら先に行っても良い」と小屋の宿泊者全員に対して宣言。やはり厳しい。
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8月30日
5時に出発OKだったが、風が強くなんといっても寒さが厳しい。
今まで経験した冬の八ヶ岳以上の寒さ。
しかも、出だしにフィックスはあるが逆層のオーバーハングがあるので明るくなるまで様子見とした。
ガイドレスのパーティーは我々とスペインパーティだけだった。
スペインパーティは6時ごろ取り付くがオーバーハングで苦労している。
我々はその後、十分明るくなった7時ごろ取り付き12時ごろまでの登りを目途に登攀を始める。
途中、スペインパーティを追い抜く。PicTyindelまではルートがいろいろ取れ、下降路の確保が心配される。
PicTynelからがアイゼンを付け、岩稜と雪壁を選択しながら登る。雪は場所により硬い。
高度の影響もあまりなく、順調と思われたが、最後の岩壁の下に達した時は5時間強経過し12時すぎとなった。
標高差あと200m弱、登り1時間半から2時間と思われ、頂上直下、Joudanの梯子も見える位置となったが、
14時登頂だとするとカレル小屋帰還が21時過ぎる可能性がある。天気も雲が湧いてきて下の町が見えなくなってきた。
日本ならいざ知らず、4500mのヨーロッパアルプスではリスクが大きすぎる。ここで断念する。
カレルまでの下山はロアーダウン、懸垂、などいろいろ使い分けて時間をかけないようにしたが17時過ぎに帰還。
我々よりもかなり下で登頂を断念下降していたスペインパーティを途中で追い抜いたが、彼らは懸垂下降を多用していた。

8月31日
ヘルンリ稜のヘルンリ小屋のように営業小屋であるならば、この日再度登頂を試みただろうが、水も食料もないカレル小屋では許されず6時半より下山。時間は関係ないので4回ほどの懸垂でリオンのコルへ。
3000m地点まで食料、水を持参してくれた細野さんに合流してCerviniaを後にしCourmayaur へ。
旅行案内所で聞いた格安のホテルは中心部に近く3人2部屋、朝食付きで87ユーロ。
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9月1日
Courmayaurのガイド組合でモンブランのイタリアルートについて聞くが、氷河の状態が悪く現在はガイド登山を中止しているとのこと。
そのためこのままChamonix へ行き、Cosmiq小屋よりのモンブランの登山を上野、名雪で計画し、Cosmiq小屋に電話で予約を入れる。すると、小屋は空いているが天気予報が悪いのを知っているかと聞かれ一旦計画を保留した。
とりあえず、Chamonixに行こうということになり、細野さんは定番のロープウエイへ乗りChamonixへ。
上野、名雪は車でモンブラントンネルを通りChamonixへ移動。
Chamonix のSnellスポーツの神田さんに会い情報収集。午後は今後雷雨。
12時までに終わりにしないとリスクが大きく、現在、日本人が一番行く一般的なグーテ小屋ルートも落石が多くガイドが中止しているとの話からモンブランは中止とした。
神田さんから日本人の登攀スピードについてかなり厳しい意見も聞き、反省と同時に非常に勉強になった。
そのまま、Chamonixをあとにスイスへ国境を越える。
美しく素朴なスイスの田舎町の街並みを堪能しながらロアーヌ川沿いにZermattの下Visp、Brigを通りAndermatt方面へ向かう。Munsterというまず日本人が泊まらないと思われる小さな美しい村に宿泊。安価なうえ美味しいPinoirのワインを堪能する。

9月2日
Furuka-passを列車トンネルでAndermattへ。さらに、ループ橋で有名な峠を越えてSt.Moritzへ向かう。
St.MoritzよりBrigaglia渓谷のスイスの著名な彫刻芸術家Alberto Giacomettiの故郷Vicosopranoを通りSoglioへ。
スイスの秘境といわれるBregaglia渓谷で美しいSogligoはPitzBadileの麓。
PitzBadileは昨年計画、しかし天候の関係でDentBlansheに変更したものの前々から上野代表の憬れのルート。
その北東壁はアルプスの6大北壁のひとつであり、かのカシンが拓いたカシンルートがある。

9月3日
Soglio近くの町Bondoより車で入り PitzBadile 登攀ベースの小屋までトレッキング。
来年の目標は Badile北東壁カシンルート。
まるで蝙蝠が翼を広げたようなPitzBadileととなりの山々の美しさ、素晴らしい岩壁にしばし見惚れる。
下山して、数キロでイタリアを越えてミラノ近くのCo,mo泊。
途中のleco周辺の岩場は冒頭に書いたように町すべてを囲む岩場に圧倒された。

9月4日
Co,moよりミラノMalpensa空港へ。
昨年同様、となりのチェックインカウンターはテルアビブ行。
ここだけ、警備が非常に厳しい。大きな銃をもったミラノ警察、イスラエル警察かモサド?
黒服を着た一目でそれとわかる人たち20人くらいが、テルアビブにむかう人たちひとりひとりをすべて厳しくチェックしている。
ふと上を見ると、機関銃を構えた狙撃兵がひとり、ふたり。横目で見ながらわれわれは無事成田に到着。


そして、現在、ヨーロッパにかぶれています。(記:名雪)

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