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116 ヨーロッパアルプス紀行(イタリアアルプスからスイスアルプス)
日程

2010.07.22〜2010.07.31

メンバー U,N,他2名
詳 細

            
          Dent Blanche(ダン・ブランシェ)4356m登攀
          “Wallisの最奥に鎮座する白い歯Dent Blanche”
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当初の計画はPizBadile 周辺の岩登を考えていた。
しかしながら直前の週間天気予報ではSt.Moriz方面は最悪の予報だった。
しかし、スイス西部のWallis地方の天気予報は連日の好天気であり、急きょWallisへ変更する。
目標はMatterhornをイタリア側から登るリオン稜またはDentBlanche南稜とする。
リオン稜はAD、DentBlancheはAD+のグレードだった。

過去にはWeisshorn,ZinalRothorn,Wetterhorn,EigerMittellegi,Monch,Jungfrau,WeissmiesN.ridge,
Breithorn,Allalinhornなどの経験があったし、両ルートは以前から研究済みであり地図なども持っていた。
当初の目標PizBadileは標高が3300mと低く、高度順応を行っていなかったので(富士山onedayだけ)、
イタリア側からロープウエイで簡単にアクセスできるMonteRoseの一角Signalkuppe(4556m)を最初の目標とした。
同行する2名のトレッカーも途中の小屋までは簡単に同行でき氷河歩きも経験できると考えられた。


7/22 梅雨明けの東京をアエロフロートで発つ。36度の猛暑のモスクワを経由してイタリアミラノの空港へ。
レンタカーで予約した空港近くのホテル泊。
空港近くは道路が暗くホテルを探すのに苦労する。
直前に加入したREGAへの携帯電話でのアクセステストを行う。

7/23 Malpensa空港より 高速A4を通り Simplon峠へ抜けるA26を走る。途中RomanoSesiaよりSesia渓谷へ入る。
田舎道をくねくねと進むが 通り過ぎる村の様子がイタリア風からスイス風に変わってくる。
渓谷の奥Alagnaは冬はスキーリゾートとして開発されコンドミニアムなども散見される。
ここよりロープウエイを3本乗継ぎPuntaIndren((3260m)まで一気に運んでくれる。
PuntaIndren全く殺風景な終点で工事現場の資材置き場という感じではあるが 上を見れば氷河が迫ってくる。
冬は素晴らしいゲレンデになるのだろうが 息の切れるスキー場だろう。
ここから1時間30分ほど氷河を横断して 岩場を登り また氷河を横断して小屋直下の岩場を登ると
GnifettiHut(3611m)に簡単に着いてしまう。
ロープウエイを降りてこの小屋へ来る登山者のほとんどが年配者や未経験と見られる人達と引率するガイド達である。Gnifetti小屋は大きいが、それでも人でいっぱいという感じである。
料金は一人6000円程度で日本山岳会の会員割引があったらしい。
夜半より激しい風となり部屋のなかでもわかる程であり 明け方は寒さを感じる。

7/24 外は風速20mほどの風が氷河を吹き荒れている。雪も舞っている。
暫らく待機したのち Lisjochへ向かって氷河を進むが体を揺らすような風で直ぐ諦める。
3600mで一晩過ごしたので高度順応になったと理解して下山する。
ロープウエイが止まるのではないかと心配したが下へ降りるとそれほどでもなく、
日差しのあるAlagnaへロープウエイで下る。
MonteRosaでの降雪から、MonteRosaに近いMatterhornよりもDent Balncheの方が状態が良さそうに思えた。
また、フィックスロープの全くないDentBlancheは以前からの憬れの山であり次の目標をDentBlancheとする。
同行の2名にはCranMontanaでのトレッキングをアレンジする。
Cherviniaへ向かわずAlagnaからA26をSimplon峠(スイスとの峠)へ向かう。
Domodossolaの町で泊まったが、数年前よりも町は活気を帯び観光客でにぎあっている。
気になるのは怪しい男2人ずれが多いこと。

7/25 Simplon峠を越えてスイスへ入り Sionへ向かう。
Sionより典型的なスイスの渓谷 Vald’Herensへ入る。
Evolenの村を過ぎ突き当たりのFerpcle(1800m)の駐車場へ。
もう13時を過ぎていたが偵察でDentBlancheの小屋へ暫し進む。
笠雲がかかっているがDentBlancheがよく見える。
放牧用の建物などのあるBricola(2415m)まで登り、岩の上で昼食。
周りは放牧された羊が多く糞が多い。Haruderesの村へ戻りPizza屋の上の段ベッドの宿に泊まる。
夕方、ダンブランシュの小屋(CabaneRoussir)へ電話して小屋を予約する。
話によると今日は強風だったが数パーティが登頂したとのことだった。
明日は今日よりも天気が良いだろうとのこと。

7/26 朝起きると小雨模様。
同行の2名はPostBusでSionへ下り、CranMntana方面へ。
我々2名は天気は良くなりそうに思えなかったがとにかく小屋まで行ってみることにする。
9時過ぎに出発、Bricolaより放牧地帯をトラバース気味に進むと 氷河下のモレーン地帯へでる。
美しい氷河池などもある。降雪の中、氷河で削られたスラブ帯、尾根状のモレーンを進むと氷河の末端へ。
木で組んだ標識に導かれて 氷河を進むと 雪に霞んだドラキュラの館の様な小屋(3507m)が現れた。14:30頃到着。
小さな小屋だが小屋の女主人、手伝いの女性、ネパール人の従業員が温かく迎えてくれた。
今日は我々以外に5名だけの宿泊者。夜は風が強く、雪。

7/27 4時に起きるが風雪でそのまま寝てしまう。
フランス人ガイドに連れられた2名は下山。
昨日登頂しているオーストリア人ガイドとスコットランド人は天気が回復してきた10:00頃AostaHutへ下る。
明日は午前中だけ天気が回復とのことでダン・ディランを登るらしい。
我々も午後偵察に出る。Matterhornが見えるというWandfluelucke(3707m)へ向かう。
小屋よりクランポン、アンザイレンして行くが岩場に雪が積もっている。
3級程度の岩場もあらわれるが問題はない。
やがて20cmほどのラッセルをしながら雪壁を登るが視界が悪く、トレースも無く何処を登っているのか良く解らない。
しかしやがて傾斜が落ち 平らなWandflueluckeと思われる地点に達する。
視界は30m程でMatterhornは見えなかった。
小屋へ戻ると続々と登山者が上がって来た。今日は我々以外に約30名。明日は天気が回復するのだろう。 
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7/28 3時過ぎ起床して 小屋の外のトイレに出ると空は満点の星と月明かり。
手早く準備、朝食を終え4:50クランポンをつけアンザイレンして小屋をでる。
既に先行するガイドパーティのヘッドランプの灯が見える。
昨日ラッセルした雪壁も視界良好、我々のトレースも更に踏み固められて歩き易い。

Wandflueluckeへは簡単に到達 今日はMatterhornが身近に現れる。
しかし傘雲がかかっており長時間の好天は約束されない。
広いコルより東側の雪壁にとりつき簡単な岩稜をたどる。4000m付近まで達すると急な岩稜が立ちはだかる。
これが大ジャンダルムとよばれる最初の難関。
左へ60mほど固い雪壁をトラバースするが途中のペッツルでプロテクションが取れる。
さらにルンゼ状の硬い雪壁を登るが ここでアクシデント。クランポンが外れてしまった。
ピッケルのピックでプロテクションをとり着けなおすが急の雪壁で苦労するだけでなく時間を使い、
ペースメーカーとしてマークしていたガイドパーティに離されてしまった。
大きな岩のビレー点よりさらに雪壁を鉄棒のビレー点まで、更に雪と岩のスラブを左上して次のビレー点まで(3級)。

さらに、稜上へ抜けるために雪を落としながら岩場を直登。
最後はかぶり気味の岩場を登るがホールドスタンスが大きく簡単に乗越せた(30m3級)。
ここは本来右のガリーから登ることもできた。
大ジャンダルムを越えたコルからは岩稜が急になってくる。
途中東側(右側)へ下降し大きくトラバース気味に稜の右側を登る。最後は急なリッジを登り、稜上に戻る。
稜に立ちふさがるクラックのある黄色の岩場(3級30m)を登り稜上のビレー用鎖へ。
微妙なクライミングダウン(10m)さらにバンドを左へ進む(30m)。
太いシュリンゲが水平にかかった支点に達するがここから上へ乗越す一歩の手がかりがない。
水平にかかったシュリンゲに立ちこみ、上のスラブのクラックにリンクカムグリーンを差し込みなんとか乗越す(5級)。
バンドを左へ数メートルトラバースするとガリーに達する。
そこにハンガーボルトがあった、2m下にもボルトがある。
恐らくこのガリーを登ってくるのが通常のルートだったかもしれない。簡単なガリー、スラブを超えて40mで南稜上へ戻る。ここで 登頂してきたオーストリアガイドパーティと会う。

ここからは “mostly waking”ということ一安心。しかしながら ここからの約1時間が長く感じられた。
天候は既に悪化して視界も100mの中、岩稜を越え、雪壁を登るがなかなか頂上につかない。
最後雪稜を登り一番高いところへ達する。頂上の金属製の十字架はさらに20m先の低い地点に。11:25頂上十字架へ。
風も強く、寒いので写真を撮り、感激もそこそこに直ぐ下山にかかる。

核心部終了地点より上部でチェコパーティ3名、核心部終了点で4名と会う。
両パーティとも素人パーティである。素人パーティでは我々が一番早かったようだ。
下山では懸垂6回を要し時間を使ってしまった。
それよりも登りのルート把握が簡単ででなくルートを外さないような慎重な下山を強いられた。

16:30みぞれ、となった天気のなか小屋に下山する。
小屋につくと我々だけで皆下山していた。
日が長いのでこれから下山も可能だったが天気も悪くなったし、次の宿を探すのも面倒だったので小屋に宿泊した。
夕飯時にチェコパーティ、あとの4名は就寝してから帰ってきたようだ。
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7/29 朝ゆっくり起きると外は雪。
3泊お世話になった小屋の皆さんにお礼を言い、9:00小屋を出る。
雪が降っているが視界は良好。
登りに使った尾根は出来るだけさけ右側(西側)の氷河の末端を選びながら雪の上を下山する。
下山のトレースも残っており苦労なく目標の氷河池へ降りる。
小雨模様となったが羊の戯れるなかFerpcle の駐車場には11:30戻る。

途中、Evolenで昼食、COOPでお土産を買ってSionへ。 
ここで別働隊2名と合流してSimplon峠を目指してひた走る。
検問もなくイタリアへ入国。Malpensa空港に1時間ほどの町、Stresaへ。

Stresaは初めてだったがMaggiore湖の辺の高級観光地。湖の辺のホテルは高いので駅の上、
住宅街の中の安いホテルに泊まる。

7/30 A26へ飛び乗り A8経由Malpensa空港へ。
Check-inカウンターがイスラエル行の便の隣だったが警備が厳重なことにビックリ。
暑さと山火事で霞むモスクワ経由成田へ。

7/31 無事成田到着。荷物は無事着かず、モスクワで積み残しとのこと。荷物は後日配達された。
登攀装備: 8.5mm50mロープ、ハーネス、ヌンチャク各2、アンカン各2、ATC各1、シュリンゲ長短各2本、Linkcumグリーンと紫、アックス、ヘルメット、クランポン、衣類は日本の3月仕様。
 
反省:*高度順応が即席で最後はバテてしまった。
    *アイゼンが外れてガイドパーティについて行けなかった。
    *50mのロープにセンターマーカーがなかったので懸垂のとき手間取った。
    *冬山を登るという感覚なしで入山してしまった。DentBlancheは冬山だった。
     しかし、クランポン無しで登ったとの話も聞いた。
    *現地ガイドパーティの下山システムの速さに驚かされた。
    鉄ポールを利用して、余程のことがなければ懸垂をしない。今後研究する必要がある。
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