2010/04/30 小田急愛甲石田21:00 馬場島 05/ 01 5:00
5/01 馬場島09:05 小窓尾根1800地点14:30 幕営
5/02 1800m地点5:35 2100m地点07:40 小窓王へ稜線12:40 三の窓15:00
5/03 三の窓6:20 池ノ谷乗越07:57 剣岳山頂8:20 伝蔵小屋11:05 馬場島15:00
剣岳小窓尾根は自分にとって41年ぶりの登攀になる。
当時日本山岳会東海支部のマカルー東南稜の遠征へ加わるK会長のトレーニングを兼ねた山行を同期のIさんと三人で行ったものでした。同時期、小窓尾根からチンネ左稜線中央チムニー、中央壁成城大ルート〜剣尾根をテント無し連続で登攀した山行だった。実のところ小窓尾根に関する記憶は忘却の彼方でありロープを出した記憶もなかった。しかし、直前Web上の記録を読むと難しそうな場所が数々出てくるルートであることが解かった。おまけに今年の異常な天気3月より寒暖の激しい天気に雪面の困難さは予測できた。
5/1 早朝馬場島に到着、車の中で2時間程仮眠をとり馬場島の警備隊へ変更した計画書を提出。しかし警備隊は救援活動中であり不在、ヘリコプターの離着陸するなか出発。
昨日の雪のため白萩川の林道にも雪が残り冬山という感じである。堰堤の行き止まりからの渡渉も水量が少なく問題無し。堰堤からは残雪が十分残り迂回しながらも雪の上を雷岩へ出る。
雷岩からはひたすら急登、尾根状へ出てホットする。反対側の赤谷尾根が美しくそして長い。途中アイゼンを付け、尾根の雪稜となると展望も開けてくる。1600mの平なピークから池ノ谷側の視界も開け、鋭い剣尾根を正面から望むことができる。正に南面からは見られない剣岳の世界へ入っていく。さらに1800m のテントサイトの跡に達し休憩するがここで自分に異変が発生。冷たい飲料を飲んだ後胃が収縮し、背中が硬直してしまう、眩暈も感じる。睡眠不足の長時間ドライブのせいかもしれないが、とにかくここで天幕を張ることにした。30分ほどで回復するが何と無く弱気になる。結果的には明日三ノ窓までいける十分な高さであり、風も弱く、赤谷尾根白萩方面、富山の夜景を望む素晴らしいテントサイトだった。
5/2 早朝の登攀は雪壁から始まる、ブッシュは殆どなく、時々出てくる急な段差を乗り越えながらすすむ。
2100地点に達すると正面に剣尾根が迫ってくる。平坦なピークで未だ3張ほどのテントが残っている。
ニードルというのか元ニードルなの崩れたような岩塔が前にそびえる。右から回り込むようにして簡単な岩場をたどり岩頭の上部に達する。懸垂用のシュリンゲがかかっている。垂直に下るのではなく右にトラバースしているようだったので 2名をロアーダウンで下ろし、最後はマッシャーでプロテクションを捕りながらクライムダウンする。右へトラバースして細い雪稜を下りドームといわれる部分に取り付く。
池ノ谷側の急な雪壁を、木登りを混じえながら登って行く。ここで アクシデントが起きる。先頭を行く自分に後続のNが“何処か出血していなか?”と聞く。自分は何とも無い。しかし、問いかけたNの毛糸の手袋は出血して真っ赤であった。急登の途中であり、痛みもないとのことだったのでドームの頭までそのまま進む。
その後も雪面に血を落としていたので後続のパーティは驚いただろう。ピッケルのピックなのか自分がアイゼンで踏んでしまったのか定かではないが 細く深い傷だったので出血が多かったようだ。上手く止血が出来、その後はアンザイレンして進む。馬の背のようなリッジ、スタカットで2箇所岩場と急なガリーを登り、最後は急な雪壁を登りマッチ箱といわれる核心部を登る。
小窓王までは日本離れした景観の中雪稜をたどるが、最後は急な雪壁をスタカットで登り小窓王の肩に出る。そこに懸垂支点があるが懸垂の必要性を感じさせない雪質だった。
三ノ窓には既に5,6張りのテントがあり一部雪と氷に覆われたチンネに見とれてしまう。Nの怪我は完全に止血していたが 細く深い傷だった。ピッケルのピック、アイゼンの歯にしては細い傷で何が刺さったのか今も解からない。Nの傷は感染の恐れもあるし、自分の昨日の体調不良を考え、明日は本峰経由で下山とし八峰上部の縦走はまたの機会とする。
5/3 今日も素晴らしい天気、雪が全面を覆った池ノ谷ガリーを登る。
日陰で寒いが日のあたる乗越へ来ると一気に気温が上がる。
八峰にはトレースが見え剣岳南面のゆったりとした景観を堪能する。
雪稜、雪壁をたどり頂上までは楽しい稜線歩き。ガラガラの無雪期よりも快適に剣の頂に達した。
頂上はすべて雪の下、祠も何も無い。間違いなく3000m超の剣の山頂だっただろう。
下りは剣尾根、小窓尾根の景観を楽しみながら早月尾根をのんびり下る。早月小屋から下は春の様相、ズボズボの雪の中をもがきながら下る。しかし 途中から白萩川へ下る踏み跡をたどり林道に下りることができた。そこには下って来たスキーヤーが数名いた。立山方面から滑走したとのことだった。後でわかったのだが 山スキー界ではスタミナスキーヤーとして名の知れ金沢のH先生達だったらしい。帰りは連休高速の渋滞を避け、箕輪の湯で3時間ほど仮眠して深夜の高速を帰京した。
雪山での3日間の行程は 老体にはつらかったが 昔を振り返りながらの楽しい山行だった。三ノ窓には当時お世話になった横浜のJC会のテントが同じ場所にあり、タイムスリップした感じだった。
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